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東京府郊外 町域概略図を作成

歴史的鉄蓋を探すときに気になること、それは・・

「大久保町ってどこまでが大久保町?」
「あれ?この蓋はもしかして越境?」

そんな疑問が浮かんでも、なかなか昔の地図が簡単に手に入るわけでもなく、調査があいまいになってしまったり、必要以上に広範囲を捜索してしまったりと、ターゲットを絞った蓋探しの障害になっていました。

このたび、町域概略図を作成することで、先述したような障害を解消するほか、かつて存在した自治体の区域をはっきりさせ、資料として後世に伝える一助になればと思っています。

なお、すべてPDFファイルで非常にサイズが大きなものです。
サーバー容量の関係から、一定期間経過後は移動しますので、ご了承ください。
最終的には路上文化遺産データベースで公開できるよう、調整を進めております。

利用については自由ですが、オープンストリートマップを素材として使用しております。二次利用の場合はご注意ください。

順次作成していますが、現在以下をご利用いただけます。

内容については複数の地図や航空写真を用いて検討していますが、地図ごとに多少の誤差があることや、町並みが大きく変化したために正確な境界位置が割り出せていない可能性があります。
そう大きくはずすことが無いように細心の注意を払っていますが、必ずしも正確であるとは限らないということをご了承の上、ご利用ください。

また内容の誤りについてやご質問があれば遠慮なくコメントまたはツイッターでお寄せください。


豊多摩郡千駄ヶ谷町
豊多摩郡代々幡町
豊多摩郡淀橋町
豊多摩郡大久保町
豊多摩郡戸塚町
豊多摩郡落合町
北豊島郡高田町

代々木川と千駄ヶ谷町の燈孔(渋谷区神宮前)

9月ごろに資料による調査を行ってツイッターで発表している通りで、私のタイムラインをご覧の方は既にご存知かと思いますが、資料を使用した裏づけについて、書き留めておきます。


↑今回の主役。
渋谷区神宮前に存在する紋章のない燈孔蓋。
こいつが何者なのか、を調査しました。


まず、現場については以下の地図、緑矢印の場所です。


大きな地図で見る

私がこの蓋を見つけたのが2007年3月。
当時は燈孔であるという認識はありましたが、見たことがない蓋であったために、よくわからないけど古そうな蓋、という位置づけで気になる存在でした。台帳にも記載がありません。
写真の蓋は唯一きれいに現存しているもので、このほかにセメントで埋められたものがいくつか存在していました。

現場は住宅街の道路ですが、かつては河川であったのだろうという推測はできていましたが、裏づけがありませんでした。(渋谷川本流と位置が違うことはわかっていました)

調査は少しずつ進展しました。
2008年に山手線のガードを調査した時に、交差する構造物を全て調査しました。すると、原宿~代々木間で川跡らしきものが線路をくぐることを確認、調査の結果、渋谷川の支流である代々木川なるものの跡であることが判明しました。

2011年9月、『東京市郊外下水道計画』を使用した調査により、この代々木川の暗渠化工事を千駄ヶ谷町が施工した事実が判明しました。

それによると、1930年に新田から、警察裏、向山、新開地、第一小学校下、團邸下を経て、渋谷川合流点に至る河川の暗渠化を千駄ヶ谷町が行い、下流から順次工事を進めた旨、記載がありました。

古い地名で言われてもピンと来ません。
千駄ヶ谷町新田→千駄ヶ谷新田と判断し、同名の駅が存在していた南新宿付近と理解し、告ぐ警察の場所を検討することになるのですが、ここで、代々木川の流路と重なるか検証することにしました。

代々木川が通過する範囲で警察署が存在していたのは明治通りとの交点、数年前まで原宿警察署が存在していた場所です。

この先も、古い地図を使用して現在の地図に重ねて行きます。
(第一小学校が千駄ヶ谷小学校のことであるという確証が得られなかったのですが、團邸の住所からしてこの流路で間違いはなさそうです。)
すると、以下のような地図が完成します。
ファイル 10-1.jpg

ぴったり、燈孔のある場所と重なりました。
同時に、下水道台帳でもこの区間に暗渠や下水管が存在するかを調査しました。すると大きな下水管が埋設されていることを確認しました。

つまり、千駄ヶ谷町が第一期工区として暗渠化した部分に、あの燈孔は存在していると見ることができるのです。

→この燈孔蓋は千駄ヶ谷町のものと見ることが出来るのではないか

というのが私なりの結論です。

ただし、近代的な下水道というよりは、単なるドブに蓋をかけただけで、下流の渋谷川に放出している方式をとっており、渋谷川が暗渠化され下水道となるまで近代的な下水道という性質の物とは異なっていたようです。
なお、渋谷川の暗渠化は戦後行われました。

【新たな疑問点】
千駄ヶ谷町のマンホール蓋といえば・・・
ファイル 10-2.jpg
この蓋。
しかし、今回の流路とは全く関係がない場所(私道?)に存在しています。
加えて、この千駄ヶ谷町の蓋が東京市形であるところも気になります。

なぜなら、千駄ヶ谷の燈孔は名古屋市形に酷似しているからです。

周囲の人孔蓋は交換されているとみて良いのか、昭和44年以降の蓋が大多数で、1枚市・都紋章の蓋が存在しているくらいです。
戦後になって改修が行われていると見るのが妥当かもしれません。

千駄ヶ谷周辺にはもう1つナゾがありますが、こちらは次の機会にします。

なお、この暗渠化工事は東京市編入までに全てが終了したわけではないらしく、上流の代々木では東京市の燈孔蓋が1枚残存しているのを確認しています。

ファイル 10-3.jpg

末永く、燈孔さんたちには残っていて欲しいなぁ。
100周年のお祝いをできるかしら・・。(難しいか・・)

節水トイレを考える

お食事中の方、すみません。
そもそもこのブログを食事中に見るかどうか疑問ではありますが。

ある早朝のことでした。
我が家では飲み会から帰宅した私がトイレに入っていたのでした。

トイレを流してみると、便器の中で水位があがりすぎる。

「くそ・・こんなときに詰まりやがったな」

時間はAM3時を少し回ったくらい。
何度かやったことがあった。スッポンスッポン(仮称)を取り出し、便器に充ててスポスポやってみた。

闇夜に響く「スッポンスッポン」サウンド。

しかしおかしなことに気づくのです。
普通は、「スポオオオオッ」というサウンドとともに詰まっていたものが取れて復活するはずです。
その日に限って、何度テストしても水面が安定しません。

なんだろうな?

施工の時の説明書が保管してあったので参照してみました。
すると、
「水面が安定しないときは調整を」
とか
「管路の通気性が悪いと水面が安定しないことがある」
と書かれています。

管路の通気性・・・?

格闘すること2時間。
家族が起きてきました。

「それは・・外のマンホールを開けてみ」
嫌な予感。

案の定、マンホールの中は水でいっぱい。
というか、数日から数週間流れなかったような雰囲気。

仕方がありません。棒でつついて閉塞を取り除く作業を進めることになり、作業が終了したのは朝9時。
えらい目にあいました。


眠気から「自働洗滌槽さんが恋しいよう」などとブツブツ言いつつ、冷静に考えてみると、数ヶ月前に便器を交換したところからこの受難は始まっていた気がするのです。

少ない水量で流すというエコ商品ですが、挙動をみていると、管内に勢い良く噴射されるものの、水量が少ないために流れが遅く、場合によっては側壁に紙が叩きつけられて、流れていきません。

我が家の下水管の構造の問題といえばそうなのですが、これは管理が大変そうだなと思った次第です。
というか実際に大変なのです。
いろいろやってみた結果、トイレを使用した後は風呂の栓を5秒間抜き、管路の清掃をするのがデフォルトになりました。
自働洗滌槽を自分でやるという具合です。
ぜんぜん節水になってないじゃん・・。

まあ小の時は流す水が減っているけど。

トイレの節水が進むことによって、下水管に悪影響がないのかな、と非常に気になる今日この頃です。

トイレが流れるというのは便器から消えれば完了ではなく、下水道本管へ合流して流れて行ってようやく完了だと思うのです。

ここまで1ヶ月間降水がないという乾いた天気も影響しているのかな。

追記
節水トイレによって削減した水道料金や環境負荷は下水管洗浄のためのコストや環境負荷に移行し、宅内で故障が生じればその個人の、公共下水道内で発生すればインフラ管理費の増大をもたらす可能性だってあるのです。
少なければ良いのは当然ですが、少ないからといって完璧でもありません。


あ、そういえば分流式下水道の場合は洗浄をどうしているのだろう。まさか・・自働洗滌槽が大々的に活躍しているのか!?

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非公開 (04/15 17:39) 編集・削除

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豊多摩郡戸塚町水道を探せ

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

早速ですが私の地元、豊多摩郡戸塚町水道の蓋を見つけられないかと思い始め、いろいろと資料を集め始めました。

意外にも当時の町域を絞るだけでも大変な作業でした。
東京市に編入されて淀橋区になったのは良いとしても、その後の住居表示で地名の区切りを滅茶苦茶にされているからであります。

住居表示は旧来の区切りを整形したわけですから、発展的なことと見て良いのでしょうけど。

戸塚町の町域
東側(早稲田大学の東側、現在の戸塚町と早稲田町の境界?)
西側(神田川)
南側(諏訪通り?)
北側(神田川旧流路→現在の新宿区・豊島区境)

という結論に達しました。

戸塚町誌はグーグルブックスで閲覧できるので、いろいろと読んでみましたが、昭和6年には全町域に水道が供給されていたようです。
当初、荒玉水道から水を購入する計画もあったようですが、結局東京市から供給を受けることで決着したとのことです。

林丈二先生の『マンホールのふた 日本扁』には戸塚町水道のものとされる消火栓蓋の画像が掲載されていますが、現在その住所でそれらしきものは見つけられていません。

『戸塚町水道小誌』は三栄町の新宿歴史博物館に所蔵があるようですので、そのうち見に行きたいと思います。

さて、見つかるのでしょうか。
昔我が家の前にあった小蓋は東京都の紋章でしたし、もっと当時の中心地のほうにいかないとダメですかねぇ。

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rzeka (01/02 13:49) 編集・削除

戸塚町の範囲ですが、西端も神田川ではないでしょうか?
現在の高田馬場3・4丁目の範囲も戸塚に該当するのではないかと思います。
明治42年と大正10年の地図を見ると、このへんも戸塚村/町になっています。

国鉄型すとーかー@下水君 (01/04 01:17) 編集・削除

>rzekaさま
いつもお世話になっております。
ご指摘ありがとうございます。調査したところ、現在の高田馬場3・4丁目の範囲も戸塚町に含まれておりました。ありがとうございます。
ウィキペディアの項目に惑わされました。やはり原典に当たらねばだめですね。

千駄ヶ谷町水道

本年最後の記事は千駄ヶ谷町水道の止水栓の記事です。

ファイル 7-1.jpg ファイル 7-2.jpg

12月17日にこの周辺を調査したときに発見したのがこの小蓋です。
富士塚のある鳩森神社西側の南北に走る2車線ほどある道路の脇で見つけました。

水道小蓋は下水蓋を自転車で探しているときには目に付きにくく、見落としてしまうことが多いために、今回は徒歩調査の成果がでたかなと思います。

千駄ヶ谷といえば千駄ヶ谷町下水道の1枚だけ残る希少な蓋は林丈二先生の本に紹介されていたり、地元商店街で話題になったりと比較的知られていますが、千駄ヶ谷町水道の蓋を見つけたという情報は他に得られず、どうやら貴重な発見となったようです。

新しげな建物の脇にひっそりと残っていたこの小蓋。開きそうにもない埋もれ具合からして今はもう役目を終えているのかもしれませんが、これからもひっそりと街を見守って欲しいな、と思います。

(小言)水道系の小蓋は保存されているという話をきかないなぁ。


大きな地図で見る


2011年、様々なことがありました。
マンホールファンの業界でも様々な発見や出来事がありました。来年はどんなことが待っているやら。

それでは皆様、良いお年を。

続・四谷燈孔

さて、本日ひっそりと四谷の燈孔を撮影しに行って来ました。
一眼レフで撮らないと個人的に納得できないのです。

なお、記事はほんの少し新しい試みを用いて製作しています。
もし正確に表示されないということがありましたらコメント欄までお知らせください。


↑燈孔のアップ。
裏JISタイプ。川崎や川越に60cmの裏JIS蓋がありますが、東京の燈孔では初めてのことです。
思えば東京では裏JISの60cm鉄蓋は見たことが無い。図面の解釈の差なのか、「どうしてこうなった」という印象。


↑燈孔のある風景

いやはや、早いもので今年も終わろうとしています。
今年はマンホールづくしの年でした。来年も是非是非。

燈孔があると聞いたので

先日、高校時代からの仲間と久々に集まった。私の仲間とあって不思議な連中ばかりなのは嬉しいこととして、二次会に突入した頃、kinokomosamosa氏がこんなことを言い出した。

き「燈孔、見つけたんですよ。どこだっけな・・地図地図」

新宿区内、かなり歩いたり通ったりしているといえどもやはり穴はある。
なんといっても彼は先日発見された品川町の蓋について後出しのように

「あ、この蓋気になっていたのですよ。品川町だったんですか」

などと何年も前に撮影した写真を突如アップした男だ。期待はできる。


私「その燈孔は弁天町?」

き「違う違う・・・あ、ここですよここ」

彼が指差したところは曙橋の近くの路地だった。
さっそくスマフォを借りてSVを確認すると、怪しげな影を見ることができた。

むむむ・・

「行きますか!」

そうそう、私達は昔からずっとこんな感じだ。
むしろ今のほうが高校時代よりもっとフリーダムかもしれない。
翌日も予定があったが、思い立ったら吉日。見に行くことにした。

代々木の燈孔をみてから、いざ曙橋へ・・。

すると・・あった。
しかし、驚愕。
ファイル 3-1.jpg
今まで見たことの無い模様。
逆さJISの燈孔。
このタイプ、確かに存在していたとしてもおかしくはない。
ただ、未だ見たことが無かった、というわけだ。

白金の燈孔でもニュータイプを発見することとなったが、まさかこんな近くに残っているとは思わず、驚いたのだった。
kinokomosamosa氏に感謝したい。

他にも知っているのだろう。ちょっとツツイテみることにする。

さて、今回の現場は四谷4-23。
際立って太い下水管でもなければ、当然幹線下水道でもない。
確か、古い設計基準によれば燈孔は1.75尺(≒53cm)より大きな管径を持つ管渠に設置することになっている。現場は90cmの管渠だからそのセオリーは満たしている。また台帳上も燈孔印があり、今でも生きている。
古地図によると荒地のような表記になっている。

今回の事例によって学ぶべきことは更なる燈孔の発見を望むのであれば幹線下水道に重点を置いた現行の探索を改めるべきであるということだ。

---------
『東京市下水道改良實施調査報告書(復刻版)』
第三編 調査資料-第17章 東京市下水道第三期計画調査設計標準

第二節 燈孔
1、人孔の中間で管の屈折勾配の変換点及び曲線中、特に人孔を必要としないとき設置する。ただし内径1.75尺以下の管については設置しない。

2、通気の目的で分流式汚水では人孔の間隔を300尺(≒91m)を超える毎に、その中央付近に設置する。

3、内径0.75尺のもの1種とする。

---------

なお、大崎町の燈孔については別記事としてまとめることとする。

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非公開 (04/05 13:51) 編集・削除

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皆さんお久しぶりです。

こんばんは。

ファイル 2-1.jpg
↑昭和初期に千駄ヶ谷町が設置したと見られる燈孔蓋。

私がネット上でサイトを持つのは1年ちょっとぶりでしょうか。
infoseekが無料サービスを突如廃止して以来、仮設サイトという名のハリボテだけが残る事態が続いておりました。

このブログでは主にマンホールのネタを公開して行きますが、これまでの蓄積や、これからのこともありますので、場合によっては雑記や他のネタが混じることがあります。
タグで分類することで何とかできるかもしれませんが、あまりに見難いようであれば何か他の手段を考えます。


↑目黒区鷹番に残る東京府の角蓋。


なお、現在land.toのサーバースペースをお借りしていますが、今後万が一容量が不足したり、動作の安定性が保証できなくなった場合は移転します。その場合は事前に告知をする予定です。

あえてCGIでブログをおいたのにも理由があります。
かつてサーバーが消滅したときに、膨大な量のデータを移行させる気力が私には残っておりませんでした。レンタルブログの場合も同様、突如サービスを終了したときの防御策が何もありません。
CGIを自前で設置すれば、サーバーを変えたとしてもヒョイヒョイと移行できます。そういう狙いが1つこのブログにはあります。

また、ブログの前世である「ニコボルのページ」「国鉄型すとーかーのアジト」「mixi」で公開した記事のうち、有用なものについてはこちらのブログもしくは関連のブログで再公開をする予定です。

ひとまず、よろしくお願いします。

【資料】東京都戦災仮埋葬地一覧

東京都戦災誌(明元社)より

場所の横にある数字は判明埋葬人数、カッコ内は戦後改葬された人数を示します。

資料によってブレがあるので実際はよくわからない部分もあります。また、青山公園のように当時の遺族の体験談によれば確かに仮埋葬が行われていた場所についても資料に記載が無かったものがありました。青山公園の場合は「青山霊園一角」が該当するのかと予想しますが、はっきりしないので断定しません。

なお、2chで出回っているデータは書式含め、私がかつて公表していたもの(この記事の先祖)がコピペされたものであります。

かつてどういうことが東京で起きたのか、忘れ去られていくことをここにしっかりと残しておこうと思います。
怖いくらいに、この手の資料はネット上に無いのです。

東京都仮埋葬地一覧(寺院以外)
▼江東区
・進開橋際 226
・元警防訓練所跡(北砂) 1275 →アリオ北砂
・深川平井町空き地 859
・深川公園 172
・森下公園 174
・八名川公園 152
・平久小学校校庭 223
・猿江恩賜公園 10398
・東陽公園 670
・東陽町3丁目空き地 (3574)
・洲崎病院前空き地 590 →都営洲崎アパート
・深川病院構内 566 →都営牡丹アパート
・釜屋堀公園 57
・五間堀公園 102
・二の橋橋台地 (1)
・江東橋橋台地 30
・鍛錬道場跡(大島) (2469)
▼中央区
・十思公園 808
▼江戸川区
・瑞江葬儀所構内 165
・逆井公園 61
・行船公園 435
・富士公園 (46)
▼台東区
・上野恩賜公園 1128
・谷中霊園一部 134
・玉姫公園 787
・隅田公園台東区側 1152
・今戸3丁目 (606)
・蔵前3丁目 (576)
▼墨田区
・隅田公園墨田区側 3682
・原公園 365
・吾嬬西公園 250
・錦糸公園一部 (13263)
・菊川公園、菊川小学校校庭 4515
・江東公園 50
・緑町公園 320
・緑町3丁目空き地 (942)
・中和公園 3850
・業平公園 (10)
▼荒川区
・荒川遊園地 35
・日暮里公園 109
▼足立区
・南宮城公園 87
▼渋谷区
・大山公園 159
▼新宿区
・白銀公園 114
・西大久保公園 64
▼豊島区
・南池袋公園 531(→2011年 変電所工事では殆ど出土せず)
・雑司ヶ谷崇祖堂 137
・宮仲公園 (1)
▼中野区
・塔ノ山公園 62
▼文京区
・六義園 606
▼大田区
・本門寺公園 612
▼品川区
・東品川公園 22
・戸越一丁目 (1390)
▼港区
・青山霊園一角 712
▼北区
・神谷公園 252
・荒川グランド周辺 (1)


東京都仮埋葬地一覧(寺院等編)
▼江東区
・妙久寺 2865
・光明寺 1090
・普門院 1865
・宝蓮寺 424
・浄心寺(赤門寺) 364
・自性院 1584
・羅漢寺 326
・勝智院 45
・宝塔寺 35
・霊岸寺 338
▼大田区
・正蔵院 16
▼江戸川区
・法蓮寺 25
・燈明寺 14
▼墨田区
・法泉寺 136
▼台東区
・本龍寺 738
・東本願寺 738
▼豊島区
・雑司ヶ谷崇祖堂構内 137
▼新宿区
・薬王院 20
▼杉並区
・慈宏寺 2
・覚蔵寺 13
・妙法寺 8
・世尊院 135
▼板橋区
・安養院 135
・総泉寺 24

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未承認 (04/05 11:49) 編集・削除

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【資料】山手線踏切・ガード・跨線橋一覧

山手線・蛇窪支線の踏切・ガード・跨線橋の一覧


踏切・ガードの名前はJRが掲示している正式名称を使用、橋の名前は正式な名称がわからない場合は通り名で記載しています。

一部名称を調査していない部分がありますが、ご容赦下さい。いずれ反映します。

踏切・跨線橋代替の表記ですが、gooの昭和22年、昭和38年の各航空写真においてその存在が確認できたものについてのみ記載しています。

また廃止踏切の正式名称は判明次第記載することにしています。

池袋近辺の踏切については資料が不足しており、一部資料から推測したものもあります。情報をお持ちの方は宜しくお願いします。

貨物線・電車線が別れている場合、貨や電などと区分を行っています。原則として同一場所に双方の構造物が存在する場合は横に並べて記載してあります。

調査は2008年春に自転車を用いて全てを訪問する方法で行いました。一部は地図の名称を用いて補完しています。

それぞれその土地の古い地名や、通り名がついており、非常に資料として価値のあるものではないかと勝手に思っています。

■表の見方

B 跨線橋
C 踏切
G ガード・架道橋
R 河川


*ガード、架道橋、踏切名は名称そのものしか記述していません。特に記述がない場合は

「名称」+ガードor架道橋or踏切となります。

中里第1隧道架道橋(ガード)や、中里用水架道橋(ガード)は不思議な感じがしますが、ミスではありません。

名称の仮名に誤りがあるようでしたら、駅の~とかメールでご連絡ください。一応地元の古い地名などを調べた上で記載していますが、すべてではなく、一部は一般的な読みで記述しています。

▼山手線の架道橋・跨線橋・踏切一覧

品川駅

B 八ツ山橋(やつやま)「国道15号・第一京浜」
B 新八ツ山橋(しんやつやま)「国道15号・第一京浜」
B 御殿山橋(ごてんやま)「御殿山通り」
G 目黒道(めぐろみち)「山手通り」
R 目黒川
G 百反(ひゃくたん)

目黒川信号場跡

G 百反第一・第二(ひゃくたんだいいち・だいに)→跨線橋代替

大崎駅

B 東大崎跨線橋(ひがしおおさき)「山手通り(大崎陸橋)」
R 目黒川
G 上目黒川(めぐろがわ)
G 仲原街道(なかはらかいどう)「中原街道」

五反田駅

G 五反田(ごたんだ)「国道1号・桜田通り」
G 大崎道(おおさきみち) B 首都高速2号目黒線
B 上大崎橋(かみおおさき)「目黒通り」

目黒駅

B 上大崎新橋(かみおおさきしん)「目黒通り」
B 白金桟道橋(しろかねさんどう)
貨C 長者丸(ちょうじゃまる)電G 目黒道(めぐろみち)
B 大丸跨線橋(だいまるこせんきょう)→踏切代替 大丸(貨物)・新大丸(電車)
B 三田橋(みた)
B 恵比寿南橋(えびすみなみばし)
B 恵比寿水道専用橋(えびすすいどうせんよう)

恵比寿駅

G 広尾町(ひろおちょう)
G 庚申道(こうしんみち)
G 四反町(したんまち)
B 四反道跨線人道橋(したんみちこせんじんどう)→踏切代替 四反道踏切
B 山手線跨線線路橋(やまのてせんこせんせんろ)→東横線
B 猿楽橋(さるがく)「八幡通り」
G 駒場(こまば)「国道246号玉川通り」 B 首都高速3号渋谷線 

渋谷駅

G 宮益(みやます)
G 中渋谷(なかしぶや)
G 上渋谷(かみしぶや)
G 宇田川(うたがわ)
B 水無橋(みずなし)
B 五輪橋(ごりん)
B 神宮橋(じんぐう)

原宿駅

原宿側部乗降場
廃R 渋谷川(穏田川)原宿村分水(代々木川)跡
G 裏参道(うらさんどう) B 首都高速4号新宿線
貨C・電G 青山街道(あおやまかいどう)
貨C 厩道(うまやみち) 電G 代々木街道(よよぎかいどう)

代々木駅

B 新宿跨線(しんじゅくこせん)「国道20号・甲州街道」→中央緩行線扱い?

新宿駅

G 角筈(つのはず)→中央緩行線扱い
G 青梅街道(おうめかいどう)「青梅街道」→中央緩行線扱い
B 淀橋跨線線路橋(よどばしこせんせんろ)→中央急行上下・緩行上
G 第一大久保(だいいちおおくぼ)「職安通り」
G 第二大久保(だいにおおくぼ)

新大久保駅

G 第三大久保(だいさんおおくぼ) 「大久保通り」
G 第四大久保(だいよんおおくぼ)

戸山ヶ原信号場跡

G 第一戸塚(だいいちとつか)→諏訪通り延伸部
G 第二戸塚(だいにとつか)

高田馬場駅

G 川越街道(かわごえかいどう)「早稲田通り」
R (神田川)
G 西武鉄道新宿線
G 高田(たかだ)「新目白通り」
G 新井薬師道(あらいやくしみち)

目白駅

B 目白橋(めじろ) 「目白通り」
B 花の橋(はなのはし)→踏切代替 長崎道踏切(ながさきみち)
B 西武新宿線山手跨線橋(やまのてこせん)
廃C 長崎道(ながさきみち)
廃R 弦巻川跡
G 池袋(いけぶくろ)→通称「びっくりガード」

池袋駅

G 雑司ヶ谷(ぞうしがや)→通称「ウィロード」
廃C 第二鎌倉(だいにかまくら)
B 池袋大橋(いけぶくろおはし)→踏切代替 第二鎌倉踏切(だいにかまくら)
B 池袋六ツ又陸橋・首都高速5号池袋線 →貨物線踏切代替 板橋間道踏切(いたばしかんどう?) *間道(かんどう)とは抜け道、脇道のことらしい
B 堀之内橋(ほりのうち)「明治通り」→貨物線踏切代替 新田掘踏切(しんでんぼり)
B 第一宮仲橋(電車線旧橋は「宮下橋」) →貨物線踏切代替 第一鎌倉踏切(だいいちかまくら)
B 西巣鴨橋(にしすがも)
B 栄橋(さかえ)
B 空蝉橋(うつせみ)

大塚駅

G 王子電車こ線々路(おうじでんしゃこせんせんろ) 「都電荒川線」
G 大塚(おおつか) 「千川通り・癌研通り」
G 大塚79号(おおつかななじゅうきゅうごう) 「千川通り・癌研通り」
G 平松(ひらまつ?)
B 江戸橋(えど)
B 宮下橋(みやした)
B 巣鴨橋(すがも)「国道17号・白山通り」

巣鴨駅

B 染井橋(そめい)
B 駒込橋(こまごめ)「本郷通り」

駒込駅

G 中里道(なかざとみち)
G 中里用水(なかざとようすい)
G 中里第1隧道(なかざとだいいちずいどう)
廃止C 第一中里(だいいちなかざと)
電C 第二中里(だいになかざと) 貨B 中里橋(なかざと)
電G 道灌山跨線線路橋(どうかんやまこせんせんろきょう)→山貨をまたぐ 

>貨T 中里隧道(なかざとずいどう)
>貨B <<名称不明>>→東北電車線
>貨B <<名称不明>>

田端操駅

電B 富士見橋 
電B 田端新幹線跨線橋(たばたしんかんせんこせん)
電B 新田端大橋(しんたばたおおはし)
電B 田端ふれあい大橋(たばたふれあいおおはし)

田端駅

ファイル 5-1.gif

田端駅と田端操駅は書類上、同じ位置にあることになっていますが、実際に田端操駅と呼ばれる場所は上中里駅の少し先です。

第一中里踏切跡を過ぎると、電車線は徐々に勾配を上って第二中里踏切を通過しますが、貨物線は少し下りつつ電車線が第二中里踏切として交差する道路を、中里橋としてくぐります。

その後貨物線は左へ曲がり、電車線のガード(道灌山跨線線路橋)をくぐり、中里隧道に突入します。

中里隧道以降、電車線と貨物線は平行せず分かれていることから、貨物線側の構造物については「>」をつけて区別しました。

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